2012年4月18日水曜日

UENOYAMA Shelties シェルティ専門犬舎 上野山


ジェニーは、世界で一番美しい犬ではありませんでした。
彼女の耳はショードッグのように凛々しく立つことはなく、尻尾は若干高い位置にあり、ブリーダー泣かせの容姿でした。
しかし彼女の目は美しく、彼女自身の心を映し出しているかのようでした。

山あいの、水と緑の豊かな里でジェニーは育ちました。
早朝、森は朝焼けの太陽を受け、辺り一面に朝霧が立ちこめます。
夜には満天の星がジェニーの魂を揺さぶり、そして月に向かって放たれた彼女の遠吠が谷間にこだまします。
彼女の愛する少年と共に、それは最高の暮らしでした。

少年とジェニーは丘の上の草原で遊ぶのが大好きでした。
毎朝、丘の上まで競争です。
少年は生まれつきの心臓病で早く走ることができませんでしたが、ジェニーは少年の周りをクルクルと回りながら丘まで辿りつきます。
少年の足はもうパンパンで、息もあがりふらふらです。
丘へ着くと、笑いながら草むらに倒れこみ、天を仰ぎ、喘いで新鮮な空気をお腹一杯吸い込みました。
少年とジェニー・・・心自由な彼らは、その里でたくさんの夢を抱いていました。

ジェニーには、少年の靴がボロボロになっているのが、わかりませんでした。
少年の服が継ぎはぎだらけなのも、わかりませんでした。
食事の量が少なく少年が痩せこけているのも、もちろんわかりませんでした。
ジェニーにわかっていたのは、少年の優しい声、少年の情熱、少年の温かい手のぬくもり、そして少年が自分のことを愛してくれているということだけでした。
もちろん、ジェニーも世界中の誰よりも少年のことを愛していました。

この日もいつもと変わぬ一日が始まりました。
カップの底に注がれた、ほんの少しのココアとトースト、それがいつもの朝食です。

あっという間に平らげると、少年は歯のまわりに付いたトーストの残りかすを舐めまわし

「父さん、ごちそうさま!」
「お代わりある?」


そう父に尋ねました。

父は、使い古したカップに注いだお湯をひとすすりすると、ため息をつき窓の外の遠い山に目をやりました。
母さんからの贈り物だった父のカップは、かつて、とても美しかったのですが、今ではヒビが入り色あせています。

お代わりなどあるはずがないことを、父も少年もわかっていました。
少年は心の中で、お母さんが生きていた頃のことを思い出していました。

ジャムの載ったトーストにベーコンエッグ、たっぷりのバターに浸したふんわりポテト!
キッチンからはシナモンロールにパイが焼ける香りがしてきます。
キッチンをちらちら覗くのは、それは楽しいものでした。
母さんが微笑み、父さんはジョークを飛ばし、家中に笑い声がこだましていました・・・

「いいよ、父さん!」


少年はそう言うと、椅子を引いて壁に掛けてある帽子のところへと向かいました。
その椅子を引く音を聞いて、しわくちゃの毛布の上で休んでいたジェニーが立ち上がりました。

「今日はどこへ行くのだろう?」
「丘の上に登った後は、川のほとりへも行くのかな?」
「川原の石を拾い、冷たい川面にその石を放り滑らして遊ぶのかな?」
「今日も大笑いするのかな?」


ジェニーは少年が笑うのを見るのが大好きでした。

この日は少し天気が悪く、丘へ登る頃、小雨が降ってきました。
ジェニーと少年は慌てて家に戻りました。
するとテーブルの上に手紙が置いてありました。


この女性が必要なものリスト

「山の雪も溶けたようだ!」
「父さんは山に行ってみようと思う!」
「山へ行けば炭坑の仕事が貰えるかもしれない!」
「ここからは遠く離れた所なので、すぐには帰ってこれないが、弟のトニーとジェニー、そしてお家を頼む!」


父は炭鉱のある山へと仕事を探しに旅立ったようです。
少年は「父さんが帰って来るまで、お家を守らないと!」、そう心に言い聞かせて気を引き締めました。

少年とジェニーは、弟のトニーを気遣いながらお家を守りました。
父が旅立ってから3ヶ月が経ちましたが、父からは何の連絡もありません!
やがて、谷間に爽やかなそよ風が吹き、里は初夏を迎えました。
痩せた畑からは、ジャガイモとトウモロコシをほんの少し収穫することができました。
収穫は、トニーと少年、そしてジェニーも手伝い、丸一日かかりました。
ジャガイモは地下の倉庫に保管し、トウモロコシは乾燥させ、軒下に吊るしておきます。
これでしばらくの間、食事の心配はなさそうです。

ジェニーと少年は、相変わらず丘の上の草原まで毎朝競争です。
早朝の草原に吹く夏風は、とても爽やかでした。
時には弟のトニーもこの競争に加わり、少年達はいつもと変わらぬ楽しい毎日を過ごしました。

やがて、暑い夏も過ぎ、木々は色づき、秋を迎えました。
倉庫の食料は、もう底をつきそうです。
幸い山や森に行けば、キノコや木の実があります。
しかし、今年は夏が猛烈に暑かったせいか、木の実がほとんど見つかりません。
森の鳥やリス達が食べてしまったようです。

動物達は、食べ物を蓄えるために慌しく野山を駆け巡り、山や森もその姿を黄金色へと駆け足で変えていきました。

そして数週間後、秋も深まり里には谷間から北よりの冷たい風が吹き込むようになりました。
もう森には食べ物はありません。
森の動物達も冬仕度を済ませたようで、ほとんど姿が見えません。
少年は、もう3日も何も食べていません。
ジェニーも1週間、何も食べていません。
とうとう、幼い弟のトニーに食べさせるトウモロコシの粉で作ったパンもなくなってしまいました。
少年はゆっくり腰を下ろすと膝を抱え、思案しはじめました・・・
そうして暫くすると、何か決心したかのように大きくうなずき、立ち上がりました。

「ジェニー、さあ行こう!」


少年は、そう声をかけると、ジェニーを連れて家を飛び出しました。
少年とジェニーは昔よく通った川沿いの道を歩きました。
かつて沢山の七面鳥でにぎわっていた養鶏場には、もう一羽の姿もなくひっそり息を潜めています。
赤く熟した果実をたわわに実らせていたリンゴ畑も、ブドウ畑も、今はもう雑草で生い茂っています。
ジェニーは、少年のいつもと違う様子に気付いていました。
やがて川沿いの坂道を上りつめ、炭焼き小屋を越えたところに大きなお屋敷が見えてきました。
手入れの行き届いたお庭に、風格のある門構えの邸宅です。
奥からは客人を迎えるがごとく、重く威厳のある犬達の吠える声が聞こえてきます。

「ジェニー!、いいかい・・・」


ジェニーは耳を立て、少年の言葉を聞き取ろうとしましたが、首をかしげました。
最後の言葉まで聞き取ることができなかったようです。

「ファーガソンさんがお家に居てくれるといいんだがな〜」


そう少年はつぶやき、門の前で止まりました。

「さあジェニー!、耳をちゃんと立てるんだ!」
「尻尾は立てちゃダメだよ!、僕の行ったことを忘れるんじゃないよ!」


砂糖光線は歌詞をばらばらに

少年はジェニーの耳元でそう囁きました。
少年は帽子を脱ぎ、髪を手ぐしで整えると、大きく重圧のある木製の門扉を叩きました。
すると扉の奥から足音が聞こえてきました。
ジェニーは言われたとおり耳を立て、尻尾を下げました。

「そうだジェニー!、いいぞ!、お前はとても美人だよ!」


少年はドキドキしながら待ちました。

「はい、何のご用でしょうか?」


お手伝いさんがドアを開けながら尋ねました。

「あの・・・、あの・・・」

「どうしました、おぼっちゃん!」


お手伝いさんは鼻先にかかった細い金縁メガネを指で持ち上げながら尋ねました。

少年の心臓は、もう口から飛び出しそうです。
少年はジェニーに触れ、勇気を振り絞って言いました。

「ファーガソンさんにお願いがあるのですが・・・」

「ファーガソンさんに何の用?」
「旦那様は子供の相手をする程お暇な方ではないのよ!」

「仕事の話なんです、おばさん!」


少年の膝はガタガタ震えていました。

「仕事の話だって?」


お手伝いさんはあざ笑いました。

「仕事ってどんなものか教えてあげましょうか?」
「今夜はケネルクラブのパーティーがここであるのよ!、その準備で私は忙しいの!」
「コーヒー豆をひいて、ローストビーフを焼かないといけないし、パンやケーキも焼かないといけないわ!、ファーガソンさんも同じよ、みんな忙しいの!、あなたみたいに突っ立って一日中話しているわけには行かないわ!」


「でもおばさん、僕はファーガソンさんと仕事の話がしたいんです・・・」

「どんな仕事の話か知らないけど、あなたがファーガソンさんと会うべきお方かどうか、その格好、その犬を見れば私にもわかるわ!、さあ早くお家へ帰りなさい!」


そう言って、お手伝いさんはドアを閉めようとしました。
その時、お手伝いさんの後ろから、低く優しい呼び声が聞こえました。
「ルーシー?」
「どうかしたのかい?」

「いえ、何でもありません!」
「お忙しい旦那様の大切な時間を無駄にしてまいそうな客人だったので、今追い払おうとしていたところです」

「ルーシー、僕なら時間はたっぷりあるよ!、そこを退いて私に任せなさい!」


そう言ってファーガソン氏はドアを大きく開きました。

ミスター・トーマス・A・ファーガソン!
著名なブリーダーであり、ケネルクラブの会長でもあります。

ファーガソン氏は、少年に近寄ると

「私に何か用があるようだね?」


そう話しかけました。
そして少年の横に犬がいることに気がつきました。

「おや、そこに居るのは私の犬舎の犬だね?」
「私の犬舎以外ではこのような犬は生まれていないはずだ!」


そう言って、ファーガーソン氏はジェニーを自分の横にやさしく引き寄せました。
「はい、そうですファーガソンさん、この仔、いやジェニーはあなたの犬舎からきました」
「この仔の名前はセイント・ジェニー・オブ・ファーガソンです・・・」

「父犬はチャンピオンなんです」



少年は誇らしげに、そう付け加えました。

「あ〜、そのようだ、間違いない!」
「グランド・チャンピオン犬のグレート・サンダー・オブ・ファーガソンの仔だね?」
「見ればわかるよ!」
「さあ、早く入った、入った!」


通りのゴミのパラノイア

そう言って、少年とジェニーを応接間に通しました。

「ルーシー!、温かい飲み物とトーストを何枚か焼いて持ってきてくれないか?」
「そしてこのジェニーにはドライ・ビスケットを頼むよ・・・」


今夜のパーティーの準備に追われているルーシーは不満げな顔をしています。

「さあ、早く行った、ルーシー!」


そうして、しばらく経ってからファーガソン氏は少年に尋ねました。
「ジェニーは、どうやって君の所にやってきたのかな?」

「母からのプレゼントなんです!」

「プレゼント?、ほう、それはちょっと特別なプレゼントだね?」

「はい、誕生日プレゼントに母がくれました!」

「あ〜!」


ファーガソン氏はうなずくと、昨年の暮れに財布の中身を気にしながら、新聞の広告に載せた仔犬を買いに来た病弱なご婦人のことを思い出しました。

「君の誕生日にだね?」


少年は静かにうなずきました。

「そうか!、お母さんは元気かい?」


そうファーガソン氏は少年に尋ねました。

少年の表情は急に暗くなり、目を落とすと小さな声で答えました。

「母は・・・、母は今年の春を迎える前に病気で亡くなりました!」

「う〜ん、そうだったのかい、それは大変だったね・・・、じゃ〜お父さんは?」

「父は、春の雪解けの後、遠くの山の炭鉱へ仕事を探しに行ったまま戻ってきません!」

「う〜ん、それは心配だね!」


そこへ、ルーシーが頼まれた温かい飲み物にトースト、そしてジェニーにドライ・ビスケットを持ってきました。
「ありがとう、ルーシー!」

「さあ食べなさい、ダニー!」
「君の名はダニー・ローズウッドだね?」
「お母さんが君のことを、よくお手伝いをしてくれる子だと、誇らしげに話していたよ!」
「そして、君のお父さんの名前はレスター・ローズウッドだったね!」
「君のお父さんは世界一素晴らしいバイオリン職人だよ!」
「君のお父さんの作るバイオリンの音は、それは美しい音色だった!」
「きっとお父さんは、もうすぐ帰ってくるよ、ダニー!」


少年の目はキラキラと輝きだし、トーストとココアに手を伸ばしました。
そしてファーガソン氏は、少年の継ぎはぎだらけのシャツとズボン、そして破れた靴に目をやりながら尋ねました。

「ところで、君がここへ来たのは、そのジェニーを私に見せるためだったのかい?」


少年は手を止め、下を向いたまま答えました。
「はい、あの〜、あの〜・・・、ジェニーを買ってくれる所をご存じないでしょうか?」
「ジェニーは、とても大切に育ててきました!」
「でも今は食べるのにも困ってお金がいるのです・・・」
「父さんが帰ってくるまでは何とか頑張らないと・・・」
「今、僕の手元に残っているのはジェニーだけなんです・・・」

「親愛なるダニーよ・・・君はもっと素晴らしいものを持ている!」
「それは希望だ、お父さんがきっと帰ってくると信じているね!」
「それに君の献身的な心、普通その若さでは得られないものだ!」
「現にジェニーを素晴らしい成犬に育て上げてくれたね!」
「今夜のケネルクラブのパーティー でジェニーをクラブのみんなに紹介しよう!」

「旦那様、しかし・・・」



お手伝いのルーシーが口を挟もうとしましたが、ファーガソン氏はすかさずルーシーの方に身体を向け

「ルーシー、ココアとトーストのお代わりを持ってきてくれないかね!」


そう優しく微笑むとウィンクして、口止めしました。

ファーガソン氏は、もう一度少年の方を向き、こう続けました。

「今日は素晴らしい日だ!」
「私に幸運を持ってきてくれてありがとうダニー!」
「君のおかげだよ、こんな素晴らしい犬を手にできるとは・・・」


少年は悲しげな顔でジェニーに目をやり、再びファーガソンさんの顔を見てこういいました。

「ファーガソンさん、それは・・・それはファーガソンさんがジェニーを買いたいということですか?」


ファーガソン氏は財布に手をやりながら答えました。
「もちろんだとも!」
「こんな素晴らしい犬を見て、"欲しくない!"というブリーダーはいないだろう!」
「でも、困ったな〜!」
「もうすぐ大きなドッグショーがあって、私は長い間犬舎を空けなければならないんだ・・・」

「そうだ!、ダニー、お願いがあるのだが・・・」

「私のためにジェニーを君のお家で預かってくれないだろうか?」
「君の犬の管理は素晴らしい、そうして貰えれば助かるのだけれど・・・」
「それに、もうすぐ仔犬が生まれてくる!」
「よければ、ジェニーと一緒にここへ来て、仔犬の世話もしてもらえれば助かるんだが・・・」


少年は二つ返事で承諾しました。
ジェニーの代金と世話料を貰い、食べ残したトーストとドライ・ビスケットを紙袋に詰め、大喜びで弟トニーの待つ我が家へと走って帰りました。
もちろん、ジェニーも一緒です。

それから一月が経ち、生まれてきた仔犬もだいぶ大きく育ちました。
この日はクリスマス・イヴだったので、仔犬に餌を与え終わると犬舎を離れ、家路へと急ぎました。
もう辺りは暗くなりかかっていましたが、川沿いの帰り道を下りきった所にある大きな樫の木の下で、ジェニーと少年は腰を下ろし一休みしました。
ちょうど、その樫の木の向こうに大きな煙突のあるお家が見えます。
煙突からは白い煙が昇っているのが見えます。
湯気で少し曇った窓の向こう側にお母さんと子供達の姿が見えます。
暖炉の横には、大きなクリスマス・ツリーも見えます。
七面鳥とパイを焼いているのでしょうか?
とても香ばしい美味しそうな匂いがしてきます。
そして、子供達とお母さんの笑い声が家の中から聞こえてきました。

少年は、凍えた両手に息を吹きかけながら、自分のお母さんが生きていた頃のことを思い出していました。
クリスマスには、家族みんな揃って食事をしました。
ローストビーフにロブスター、フライドポテトに温かいシチュー、テーブルには色々なご馳走が並びました。
食後には、大きなイチゴの載ったクリスマス・ケーキも食べました。
色とりどりに飾り付けられたツリーの下には、クリスマスプレゼントが置いてあり、暖炉の前でプレゼントを開けるのがとても楽しみでした。

そして暖炉を囲み、父さんの弾くギターに合わせて讃美歌 「 What A Freind We Have in Jesus(慈しみ深き)!



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