こんにちは
BODY CHANCE教育ディレクターのジェレミーです。
現在のわたしの深いテーマは自分の目についてです。
あなたの目は痛みますか?
疲れますか?痛みがありますか?
ものが見えにくいですか?
目の物語その1はこちら
目の物語その2はこちら
こんにちは
BODY CHANCE教育ディレクターのジェレミーです。
わたしは痛みを感じているところです。
それほど大きな痛みではありませんが
日々の生活の中で痛みが気になります。
痛みを経験していると
行動の仕方も変わります。
そして痛みについてよく考えてしまいます。
多くのひとが同じ状況に陥っていることと思います。
痛みはあらゆる形を取り、度合いも様々です・・・
そこでわたしの至った結論なのですが
痛みとむずかる子供には多くの共通点があります。
むずかる子供とは何でしょうか?
自分が無視してしまった子供
自分に訴えかけてくる子供
「お願いだから自分に気づいてよ!」
叫ぶことで訴えるのです。
いたずらをして訴えます。
黙り込んで悲しむことによって訴えます。
わたしには二人の娘がいます。
9歳と12歳です。
ですからそのパターンを理解しています。
対処の仕方も知っています・・・
あなたは、強迫観念です。
わたしの目もそのようなものです。
常にわたしの注意を引こうとしています。
わたしの方では注意を与えないようにしています。
いそがしすぎるから
別のことをしているから
自分の目に対しては時間を作りません。
にもかかわらず目はわたしの注意を引こうとがんばるのです。
ただ今はちゃんと目に注意を与えています。
このメールを書き始める前に
また痛みを感じ始めました。
痛みを感じたときが選択の分かれ道でした。
押さえ込み無視するか
注意を与えるか
そこでわたしはいすに座ってただ目に注意を与えることにしました。
30分間自分の目に話をしました。
「30分?」というひとがいるかもしれません。
「そんな時間が自分にあるのだろうか?」
痛みを感じるとき
自分に注意を向けることを避けます。
ときどきわたしもやってしまうように
それとは逆に無理し続けます。
「まずはこれをやってしまわなければ」
「感じている暇なんてないんだ」
肩凝りなどの感覚や人に対する気持ちに対して
そんな風に自分に何度となく語りかけていますか?
歌詞生まれた歌詞がそうであり
痛みにどれくらいの時間を与えますか?
わたしの場合はアレクサンダーの知恵を使います。
「使い方の今の状態を」理解します。
建設的になり、意識的な知性を働かせます。
知性に耳を傾け
痛みをしっかりと経験するようにします。
それから直感により出口を探り当てます。
痛みを避けたいと思うのは当たり前かもしれません。
痛みの経験を味わうと
自分の痛みが増すのです
「耐えられないよ!」
ですがそれはしばらくの間しか続かないのを知りました。
その後で変化が起こっているのを感じるのです。
変化は有機的に、自然に起こります。
それはわたしが命令したから起こるのではなく
癒しへと導く自然な力の成せる技です。
もちろん前回のメイルで述べたように
「自然」は「理にかなっている」わけにも
「すばらしい」わけにも行かないことはあります。
私たちの有機体は何かよいことをしようとしています。
しかしそれを成就するには
私たち自身の意識的ガイダンスが決め手となります。
以前のメイルにも書いたとおりです。「リンクはこちら」
あなたはデペッシュ·モードの歌詞を行うようにそれは私をどのように扱うかを感じない
以前は私の意識的注意は
逃げることに焦点がありました。
気を散らしてしまうのです。
ドラッグ、アルコールに手を出し
過食しました。
これらはすべて痛みを避けるためのものです。
こうした手段の中で最も簡単な手段を
わたしは避けてきたのです。
しかしあらゆることに準備を整えるという意識
痛みにつきまとうアイデアが明らかにしてくれることとは
自己や他者に関して自分がどんな信念や観念を持っているかということです。
わたしのケースでは
そんなに深淵でもなんでもなく
とにかくわたしの目は壊れているということ
無茶苦茶であることが分かりました。
ー本当に?
「でも大丈夫」
本当に大丈夫です。
わたしの目はそれでも大丈夫です。
わたしの目は癒しの途上にあります。
目はわたしを必要としているのです。
あなたはあなた自身を必要としています。
わたしはわたし自身を必要としています。
シンプルですね。
ですがそれこそを忘れているということは
よくある話です。
わたしの場合、時には感じることを避けて
「痛み止めが必要だ」と言い出すくらいです。
目をぎゅーっとつぶってしまいたくなるときがあります。
こんなことをもうやめてしまう必要があります!
でもどんなことをしてもうまくいかないのです。
わたしは私自身を必要としています。
わたしの目はわたしの注意を必要としています。
自分自身で行うセッションの後、わたしの目はずっと良くなっています。
良くなることがセッションの目的ではなく
セッションをするのは自分自身を大切に思っているからです。
あなたは自分を大切に思っていますか?
やかましい子供に耳を傾けますか?
今日、痛みを感じたら
自分のために時間を作ってください。
解決法を作り上げないでください。
出口を探すのもやめてください。
自分をそのままの状態で受け入れて
今ここにいてください。
そうしているうちに何が起こるのかを見ていてください。
そしてわたしに知らせてください・・・
にこやかに
ジェレミー
PS わたしはこのメールにも共通する内容の文章をフェイスブックで発信しています。フェイスブックに行ってわたしのフレンドになってください。
あなたのフィードバックや質問を受け付けます。
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